どきゅめんと

東北出身の とある映像作家が311後に自分の故郷を撮影編集して公開するらしい
別にその行為に関しては 特別に斬新とも思わない
しかも その情報だけなら 何もわたしがわざわざブログに書く事もない
311以降 色んなジャンルのアーティスト達が東北を訪れ 映像を撮り
トークショーや個展や展覧会等で「発表」をしているし
今までも 何か事件があれば何故かしら誰かしらが記録してきた「歴史」がある
ドキュメント映像と呼ばれる物は 世界に山ほどある
好きか嫌いかではなく とにかく「ある」


わたしが気になったのは
「公開しますよ〜」と 映像制作側がツイッターでつぶやいたのに対して
「他人の不幸で金をとる」と とある俳優が批判した事
(どちらも はしょって書いています)
つまりこれは「フィクションならお金を頂いても良い」という事を
俳優は言いたいだけなのだろうか?


わたしは 視覚伝達の中でも特に厄介なのは「実写映像」だと思っている
わたしの作家デビューは写真展だったお陰で 沢山の人と関わって色んな事を学んだ
その中でも一番は「カメラは恐ろしい」と言う事だった
嘘も真実もさじ加減 情報を加えると更に膨大な嘘をつく事も出来ると言う事を
肌で感じたのでした


なので
「フィクションの中に真実を映し出す事も出来る」
「ドキュメントと称して嘘をつく事も出来る」
どちらにせよ やはり重要だとわたしが思っているのは
「作品として(作品としてならばだけれど)何を感じ取ってもらいたいのか」に尽きる
と わたしは思うのです


「とても上手に撮れた映像」や「こんな事があったよ」は 記録であって作品ではない
記録ならばそれは「報告」だ ならばその俳優が言う様に入場料を取るほどの事もないのかもしれない
「自然の驚異」と「悲劇」と「人間の愚かさ」だけならば
様々なメディアで もうすでに私達の目の中に散々刷り込まれてしまったのだから
とはいえ
もちろん「重要な資料としての記録」もあるだろうし
わざわざ編集をして 何かを伝えたいのならば「作品」として
記録だけに留まらない「何か」があるのかもしれない
だとしたら お金を払ってでも観る価値はあるかもしれない


願わくば
どうぞ その映像が「記録」に終わる物ではありませんように
どうぞ その俳優が役柄に限らず「迫真の演技」によって 観る側に恐るべき現実を突きつける方であります様に


そう 思ったのでした


ちなみに「記録」も「コメディ」も嫌いじゃないよ