やくたたず

nogisumiko2010-03-07


3月26日(金)〜4月24(土)まで
広尾のギャラリー OUT of PLACE にて
やくたたず』という 新旧交えた個展を行います
久しぶりの東京 久しぶりのギャラリーです

同時期に 東京国際フォーラムでも出展が決まりました
http://www.artfairtokyo.com/en/

今回 いろんな方にのぎ評を書いて頂きました
18名も参加しているので 読み応えたっぷりです
http://www.outofplace.jp/TOKIO%20OoP/Current.html


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やくたたず』


わたしは このやくたたずをめのまえに

わたしの なん百倍 なん千倍 なん億倍もの

ふかよみをするひとたちにであうための たびをしたことをおもう


わたしのうつわが 空だとして

うつわに あなが空いていたとして

わたしはいま このめのまえのやくたたずを

さくじつまでは わすれ

このせつなに めでているしんじつ


わたしのむち そしてやくたたずが

ふえつづけることに けんおせず なげかず

くちてしまうことに めをそむけず

おだやかに うけとめられたなら

もしくは うけとめられないのなら


ふかよみの暗黒色のかなたに ほんの一筋の緋色

ほんの一筋の白銀色 ほんの一筋の群青色 ほんの一筋の黄金色を

みただろう


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『OUT of PLACEにて、A waste of spaceをするための戯言』

物心ついた頃、わたしに貼られたレッテルは「気が利かぬ役立たず」でした。役に立たない物(者)は、価値が無いと思われているような恐怖感と罪悪感がありましたから、ことあるごとに役立たずについて考えない訳にはいきませんでした。
自分の役立たずっぷりに、ずいぶんと心を痛めたりあきらめてみたり、頑張って役に立とうと努めた覚えもあったのに、気付けばせっせっせっせと掻き集めたお金で、せっせせっせと役立たずに精を出している。
やくたたず」という言葉は、いつの日かわたしの作品の題名になることは、ずっと以前から決まっていたようにおもいます。

昨年、股関節の病気で手術した足は、わたしの役立たずっぷりに中途半端な拍車を掛けてくれました。そして同年の師走、幼いわたしを「役立たず」と罵倒した父親が緊急入院し、年末年始に身体のあちこちにコードを付け、病院のベッドでよれよれになり、口を開いても呂律の回らない父親を見て、頭に浮かんだのは「やくたたず」と言う文字でした。幾度もその言葉が頭に浮かぶと同時に、むしろどんどん自分が柔らかな気持ちになっていくのがおもしろく新鮮で、不思議な感覚でもありました。それから数日後、わずかな回復の中で父親はわたしに電話を掛けてきました。それは言葉は少なくとも、穏やかなものでした。この瞬間「やくたたず」という言葉は、ぴったりとわたしの古く歪な溝にはまり、この題名のための「駒は揃った」と、身体の芯で鐘が鳴った気がしたのです。

やくたたず』にとってこの話しは、ほんのほんの端っこで、ぶっきらぼうに新たなるスタートや過去の御破算、親子の感動を伝えたい思い等無く、ましてや何かをあきらめたり、すねたり開き直っている訳でもありません。
今はただ、ただ「今」であること。愛すべき全ての役立たずに敬意を表し、新旧交えた作品の個展を開催します。

のぎすみこ/ 芸術家(installation artist)   

おたかい

作品のための場所探しをしておるのだけど
「いいな〜」と思う所は とにかく「駄目」をくらう
世の中 名声だったりコネだったり金だったりを持ちあわせてないと
「シッシッ」と追い払われる ことが ある
わたしは そういうことにはシツコイので
やんわり食い下がったりするんだけど
やんわりと「前例が、、」とか「決まりですんで、、」と断られ
ここの所 どうも良くない
「いいな〜」と思う所が 「お高い」
いろんな意味で「お高い」

昨日 アゴラ劇場でダンスを観た帰り
しり合いの男性とおしゃべり
彼は「最近ダンスも演劇もつまらなくてね〜」とぼやく
あくまでも全般的な事を言っているのだけど
半分仕事で たんまり舞台を観ている人だから信憑性はある
「おもしろいと思ってたのに、支援されたり裕福になったり名声が上がると、
 途端におもしろくなくなる。
 さらに良くない事に、つまらないのに「絶賛」などと囃し立てるから、
 それを「かっこいい」と勘違いして、その予備軍が増える。」 と彼は言う
わたしもそう思う
、、、まあ よくあることだ

「嫌われる」のも「つまらない」と言われるのも 有名になった証拠
注目されるのは 悪い事じゃないとは思う
ちなみに「こないだの『牛2』はおもしろかったよ」と言われた
「だったら もっといい触れ回って下さいよ」と言っておいた
浸透しないと難しい
やはり名声と実績が人を呼ぶ それは身にしみる

やれる範囲で最高を目指すのが やっぱり一番いいのかな
死なない程度に じぶんの首を絞めながら
せめて 志は高くありたい

じぶんで一から十までやることが「しんどい」と言いながら
それはそれで贅沢なことなのかもしれない

投稿日:2009-12-04 17:10 [編集] [削除]

いのち

nogisumiko2009-09-22

ともだち高橋理加のインスタレーションの中で
一昨日 「ひつじのさんぽ」してきました
http://members.jcom.home.ne.jp/element/schedule.htm


じぶん以外の作品の中で さんぽするのも
杖をついてさんぽするのも はじめて
観客が少なかったので ちょっと焦り気味だったのは反省
とはいえ
やりたいことは やった

はれおんな

三渓園『牛2』 無事に千秋楽を終え 昨日は撤収


7公演全ての作品も 無事昇華できたのではないかと
自負もしてますが みなさまのお陰です
出演者もスタッフも観客の方々も
誰ひとりとして欠けても この作品は成立しなかった
ありがとうございました


頭の中で考えていたことを出現させてみて
「人間の感覚の 素晴しい曖昧さ」への片は付いたと思っています
「あの場」にいなければ 体験出来なかった事
それは 「あの場」に足を踏み入れた人でしか味わえなかったことでしょう


「目に見えない所に 真実はある」


それは 表舞台の事だけではなくて
裏舞台にもあった


心と身体と言葉は いつも同じ割合ではない
過去と現在と未来で成り立っているのだから
気付こうとしなければ 明後日の気付きには到底追いつかない
いつか気付けばいい
言葉にはいつも 嘘と真実が入り交じっている
「ダンス」という表現に魅了されるのは 必然だ


奢っている言い方だけど
今回の作品とそれにまつわる全てを 知っているのはわたしだけだろう
全てが解らなくても 知っているのはわたしだ
誤解も真実


わたしの頭の中には
もうすでに C3Aとしての作品がいくつも渦巻いています
乞うご期待!


ところでわたくし
「公演中に雨は降りません」と言いきっておりましたが
だからといって 皆既日食の今日降るなんて、、、
あんまりよね

うそのような

昨日の晩
乗ったタクシーに 降りたとたん 追突された


怪我は 打撲と擦り傷
だけど
携帯が壊れた 杖が曲がった


びびる


また ネタが増えた はははは、、、


とにかく 昨日はそんなで
携帯が繋がらないので 家は歩けばすぐなんだけど
タクシーの運ちゃんは携帯を持ってないし
しかたないので ちょっとタクシーを移動してもらって
これまた目と鼻の先にあるコンビニで 相棒にわざわざ電話
アホみたい


警察にも連絡するが
なぜに追突されたわたしが そっせんして仕切ってんだ?
よくわからん


とにかく家の近くから 救急車で病院へ
受け入れ先は 例の入院展をした病院でした
出てきたナースは そのときお世話になった人
第一声は
「あら やっぱり のぎさ〜ん♪(あかるい)」でした


レントゲンとって 消毒してもらって 世間話

ナース:最近はど〜う?

のぎ:7月に公演するんです あっ チラシ持ってます

ナース:みせてみせて〜 みんなに渡しておくわよ〜

のぎ:いや〜 じゃあ おねがいしちゃおうかな〜
   なんだか 宣伝しに来たみたいだな〜

ナース:身体をはっての宣伝ね〜 ほほほ、、


と言うわけで
ナースは けっこうな枚数のチラシを受け取って
入院病棟へ向っていったのであります


わらえます

うばう

本日
「う〜ん 我ながらいいこと言うわい」と うぬぼれた一言


「強い者は希望で戦い 弱い者は道具で奪う」


いや〜 しかし
ほんと
じぶんで言っておいて
奪われる者の痛みを背負う まるで代表者のような言い方だけど
奪われる側にいたほうが もしや華なのでは と、、、


まだ 奪われるほど「何か」があるんだぞ っと
奪われても「枯れない」ぞ っと


しみじみおもう 今日この頃なのであります